乳幼児という時代・神の時間

<2012年3月7日 6才10ヶ月>



町を歩いていたら、顔見知りの女性と久しぶりにばったり会いました。
お互いの連絡先などは知らないのですが、会うと立ち止まって少しおしゃべりするような間柄です。
お二人のお子さんはとうに成人してお孫さんもいらっしゃる笑顔の素敵な穏やかな方です。



「お子さんはいくつになったの~?」と聞かれたので、
「今度の4月で小学生です。」と。
「あら~、早いわね~
でも、よかったわね~。
子どもって可愛いでしょう?」
なんていう会話の後にこんなことをおっしゃられていました。



「あのね、子どもはとにかく抱きしめてあげなさい。
抱きしめさえすれば、いい子に育つから、
「勉強ができる子になってほしい」なんて思っちゃダメ!
勉強なんて自分がやりたいと思うようになったら、自然と自分からやるようになるんだから。
とにかく抱きしめてあげなさい。」と。


うちは、
6才なのに紺太郎がひざに乗ってきたり、抱きついてきたり、
私も抱きついたり、、と、
かなりベタベタすぎて「大丈夫かな?」と思っていたので、


「うちは、、6才なのにベタベタしすぎて、
過保護で自立できなくて、
甘ったれてマザコンにならないか心配なんですよね~(苦笑)」
なんて言いました。


すると、
「ううん、大丈夫だから。
充分甘えた子が自立するのよ。
すぐに自分から膝に乗らなくなるからね。
私は自分の子どもで色々と悩んだから、、言うのよ。
下の子どもがいて、上の子を抱きしめるのが少なかったかな、もっと抱きしめればよかった、、、と思うの。
とにかく抱きしめて。
抱きしめてあげてさえいればいいから。」


「そうですか。わかりました。ありがとうございます~、また~。」
と、そんなような会話があって、
彼女と別れました。


「充分甘えた子が自立する」なんて
明橋大二さんと同じことおっしゃっているな、、と思いました。







そしてある文章を思い出しました。

私は2008年の12月に始めたこのFC2でブログを書く前にある所で(パソコン上で)日記を書いていました。
2007年にその日記に書いたので、
ずいぶん前からお付き合いのある方々は読んだことがあるかもしれません。
このブログに移る際に、それまで書いてきた日記の大部分をこちらに移したのですが、
どこからかコピーして作者のわからないものだったので、躊躇してこちらのブログに移していない文章でした。




でもとっていいい文章なので、ご紹介したいと思います。
どなたかもし書かれた方などがわかるようでしたら、教えてください。




「乳幼児という時代」

子どもが乳幼児期には本当に手がかかるものです。

朝のあわただしいひととき、あるいは夕方の忙しい時間帯、そんな時にかぎって「ママ抱っこ」「ママ、ご本読んで」「ママ、色紙折って」などが始まります。

子どもが大好きだった私、できることなら一日中、ただひたすら子どもと遊んで暮らせたらどんなにいいだろうと、育児中何度もそう思った私。

妻であり、主婦であり、母であればどうしても片付けなければならない家事、炊事、雑事に奪われる時間があります。大人として、一人の女性として読み続けたい本も、観たい映画もあり、出かけたい講演会もあります。

ふり返ると、私の二十代、三十代は重なり合った私自身の人生と、子ども自身の人生との折り合いをどうつけて日々を送るかに腐心した時代でした。

あれから二十数年が経ちましたが、私は現在子育ての只中で手のかかる時期のお子さんを持つ彼女達に言います。

「子どもが、まとわりつく時期は、十分にまとわりつかせておくこおと。ベタベタする時期はベタベタさせてあげること。それがお母さんであることの、その時の仕事」と。

子どもが膝に乗る時期は、子どもの全身はお母さんの膝や、お父さんの胡坐の中にすっぽりおさまる大きさでいます。

子どもを膝に抱いた時、大人の顎の下に、子の頭がくる時期は、大人は両腕にしっかりと子どもをくるみ込むように抱くのが良いと思います。
なぜなら、子どもの全身は、大人がそうするのにピッタリのサイズだからです。

膝に抱いた子の顔が大人の顔ときちんと向かい合うサイズになったら、向かいあった顔に、額でも頬でもつけて、しっかりとお互いの肌の感触を確かめ、楽しめば良いと思います。
なぜなら、そうするのが自然で相応しいサイズの子どもでいるからです。

そして--やがて子どもは、膝などに乗らなくなります。(当然のことです)

私は、繰り返し、繰り返し若いお母さん方に言います。
「ベタベタしたがるときは、お母さんも思う存分ベタベタしてあげて」と。

そして、子どもが「読んで」と抱えてきた本の開いたページをそっちのけで、お母さんの顔や口元を見つめていても、そっとそのままにしておくこと。なぜなら、子どもは、その時に全身で「お母さん」を感じているからです。

お母さんの声、体温、膝の感触、息づかい、匂い、それら全てをひっくるめての「お母さん」を感じ、一番安心できる存在を満喫し、そして毛穴から、理屈抜きで「幸せ」というものの原型を吸収しているのです。

私は、子どもを育ててきて、子どもの「母親によせる特別な思い」を、そのように把握してきました。

子どもの幸せとは、安心感の蓄積に他ならないと思えるのです。

安心感とは理屈ではありません。
安心感とは「感じる」ことなのですから



「あの子達に会いたい」

私が、もう一度、たった一度だけで良いから会いたいと思うのは現在、二十七歳と二十四歳に成長したわが子の、幼い時代の姿です。

私が時おり、夢見るのは玄関のチャイムがピンポーンと鳴り、ドアを開くと腰にオモチャの刀をさし虫かごをブラ下げた五、六歳の息子と、お気に入りのバスケットを片手に仔猫のぬいぐるみを抱きしめた三、四歳の娘が立っているという図です。

「ああ、そんな日が一日プレゼントされたらどんなにいいだろう」と、そう思う私の頭で、次々に二人の子ども達とする遊びのイメージが浮かび上がってきます。

私は幼い子がわたしの側で安らいだ表情をしていたり、なにかに熱中し、一心になっている時間を「神の時間」と、心の内でそう名づけていました。

自分が、存在し生きているということそれ自体に全幅の信頼をおき、安心している時間、心配や不安などといった生きるための無心を邪魔するような余計なものの入りこまない時間を、「神の時間」と、そう名づけたのです。

子どものその頃の毎日は「神様の時間を生きている」毎日といえたでしょう。

子どもも成長すると、自ら友人関係や学業に関する問題や将来への心配等々を通し、いつまでも「ひたすら自分が存在し、明日を無心に迎えること自体が、生きる目的であり理由でもある」といった世界には住まなくなります。

もう決して昔々の、生きる心配も不安も何もない、あの時間に身を投じて満ち足りることはありません。

そして子どもが否応なく自分の置かれた現実を生き始めなくてはならない時期は、意外に早くやってくるものです。

親にとって、子の成長は喜びではありますが、一方で私はわが子が人としての現実を生き始める姿を、どこか切ないものをかみしめながら見つめてきたのも事実です。

子どもが、成長と共にその現実を受け止め生きる時、私もまた「神の時間」を少しずつ手放し「現実を生きる子どもの母親という現実」を生きなければなりませんでした。

母親の心の中には、通り過ぎた子ども達の小さな手の感触や、砂場に転がったシャベルやミニカーの色合いや、長いこと手放さなかったぬいぐるみの姿が、霞んだ遠景の中に、いつまでも消えずに、ゆらゆらとゆれています。

私が、「あの子達、どこへ行ってしまったのだろう」と、本当に真剣にそう思うことがあるのも、子どもが、ぐんぐんと大きくなり、どんどんと変化し、私だけがあの美しかった時間の中に取り残され置いてきぼりをくったような、どこかキツネにつままれたような気持ちがあるせいです。

子ども達の記憶の中にすら残っていない、あの多くの「神の時間」は、母親の中にいつまでも消えない灯です。

そこに確かに自分の人生の一時期があったという、その思いをいつか一人かみしめ懐かしむ時間が訪れるのが育児という世界です。

かみしめる時間が、ほのぼのとした充実感にあふれているよう、親は存分に子どもとの「神の時間」を生きたいものだと思います。





(ここまで)

子どもは今は6才で乳幼児とは言えませんが、
最初にご紹介したときは子どもが2才のときでした。



「神の時間」は残されているのかわかりませんが、
少しでも残っているのでしたら、
あとちょっと、、楽しむことができるといいな、、、なんて思っています。


(2012年11月19日追記:コメント欄でこちらは浜文子さんの「育母書」のものだとわかりました。
ありがとうございます。)







(2013年1月12日追記:育母書の感想を少し書きました(こちら)。




お付き合いくださってありがとうございました。

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Secre

No title

とってもいいお話ですね。どなたかが知っておられたら、私もどちらからの引用か、知りたいです。

最近特に思うんですよね。
学校で勉強して、放課後は習い事をして、宿題をして、ピアノの練習をして・・・って、本当に好きなことを一日中する時間がもうないんですよね。
無理に習い事をしているわけではありませんが、続けていくためには練習が必要だったり、準備が必要だったりして、時間を使うようになります。
何年か前には、今の様な生活習慣はなかったのですが、気付いたらこうなってました。

うちは一人っ子のせいか、まだ甘えますので、学校の行き帰りや、買い物中など、手は繋ぎますし、自分からスキンシップをはかろうとします。
でもこれもいつまで続くんだろうな・・・といつも思っています。
うちはまだ続いてますので、こんちゃんはまだ大丈夫だと思います(笑)。
子育てって大変だけれど、やっぱりやりがいはありますね。
こんな思い、親にならなかったらしなかったわけですから・・・。
神の時間・・・私ももう少し楽しみたいと思います。

No title

久しぶりに思い出しました。
この文章、読んだとき涙がこぼれそうになったことを覚えています。
そしてまた今日もじ~んと来ました。
「神の時間」・・・確かにそうですよね。
イライラせずにお兄ちゃんをもっともっといっぱい抱きしめてあげたいと思います。
この文章をプリントしておこう。。

それから私のルールをただ今少しずつですが作成中です。

①着替えを手伝ってとぐずっても、怒らず手伝ってあげる
↑↑
甘やかしですかね・・・?

No title

こんにちは^^

ここのところ忙しくてご無沙汰しておりすみません。
(日記は読んでますよ♪コメできずすみません^^;)

とてもジーンとくる文章ですね。
本当に涙が溢れそうになりました。
うちはまだ4歳ですが、成長を見つけてはとても嬉しい気持ちと寂しい気持ちを
感じてしまいます。。。

最近本当に悲しいことがありました。
息子と同じ歳のお友達のお母さんがお星さまになったのです。
おなじ子を持つ者として、切なくて苦しくて。子供の気持ちもお母さんの気持ちも
考えれば考えるほど、本当にどうすることもできず。
神様なんていないんじゃないか・・・と。

このことがあって命について人生についてすごく考え感じるようになりました。
だからこの「神の時間」、子どもとべったりと一緒に入れる貴重な一瞬を読んで、
また気づかされました。

疲れているとまとわりつかれると嫌な顔をしてしまう時がありますが、
今の子どものサイズにぴったりの対応を喜んでしてあげたいと思います。
ご紹介ありがとうございました!

>モンキーさんへ

私もいい文章だなと思いました^^。

こちらも小学一年生から習い事は週に5個、、なんていうのはめずらしくありません。
たいしたあそび場もないので、
習い事が遊び、、みたいな感覚なのかしら…???
小学生じゃなくて幼稚園生も毎日のように習い事している子もいますし。
そういう時代なのでしょうか。。
子どもが自由に遊ぶ時間がないのはよくないのでは?なんて思いつつ、
私も小学生からの習い事を今考えています。

まだ大丈夫でしょうか^^。
そうだといいです~。
お互いもう少し楽しみたいですね。

>めぐさんへ

この文章を覚えていてくださって嬉しいです^^。

> イライラせずにお兄ちゃんをもっともっといっぱい抱きしめてあげたいと思います。
よかったです~。
プリントまでしてくださるなんて、また書いて(コピーしただけですが・苦笑)よかったです~。

ルール作りをされているんですね。

> ①着替えを手伝ってとぐずっても、怒らず手伝ってあげる
> ↑↑
> 甘やかしですかね・・・?
あくまで私の意見ですが、甘やかしじゃないと思いますよ。
手伝ってほしいと言っているなら、手伝ってあげていいと思います。
少しずつ自分でやってもらうように仕向けていけばいいのでは?と思うのですが…。
おでたり、やる気のでる言葉がけも時には使いつつ。
自分でやろうとしているのに「お母さんがやってあげる~」というのは甘やかしだと思うのですが。
でも、自分でできることは自分でやってよ!って思いますよね(苦笑)。
ルールでうまくいくといいですね^^。

>haruさんへ

こんにちは^^
お忙しいのにコメントありがとうございます。
> うちはまだ4歳ですが、成長を見つけてはとても嬉しい気持ちと寂しい気持ちを
> 感じてしまいます。。。
私もです。

> 最近本当に悲しいことがありました。
> 息子と同じ歳のお友達のお母さんがお星さまになったのです。
それは悲しいことでしたね。
そのお母様のお気持ち、残されたご家族、お子様お気持ちを考えると辛いです…。
日常も「当たり前」なことではない、、と思い出します。

> 疲れているとまとわりつかれると嫌な顔をしてしまう時がありますが、
私もです(苦笑)。

気に入ってくださって嬉しいです。
こちらこそありがとうございますね。

いいお話ですね

心に沁みるメッセージですね。

>私だけがあの美しかった時間の中に取り残され置いてきぼりをくったような、どこかキツネにつままれたような気持ち
>あの多くの「神の時間」は、母親の中にいつまでも消えない灯
すごく共感できます。
特に、来週、息子の卒業式を迎えると言うこともあるためでしょうか、今までのことを折に触れて思い出します。
そしてまた、もっと子どもとの時間を楽しめたのではないか、という思いがあるのも正直なところです。

生きる心配も不安も何もない、そういう意味での「神の時間」は成長するにつれて少なくなってくるのかもしれませんが、子どもと過ごすことのできる宝の時間は、まだまだ残されているから、その時間を子どもと大切に過ごしていきたいです。

いい話をありがとうございます。
早速手帳にメモします!

>愛希穂さんへ

私もとてもいいお話だと思いました。
それにこの方はとっても文章が上手だなと思いました。
上手、、の一言でうまく言い表せるものではないのですが…^^;

来週が卒業式なんですね。
喜びと寂しさが入り混じっていらっしゃるのでしょうね。
私も来週卒園式です。
>子どもと過ごすことのできる宝の時間は、まだまだ残されているから、その時間を子どもと大切に過ごしていきたいです。
私も感謝して心して、心を込めて毎日過ごしたいものです。
こちらこそありがとうございます^^。

No title

いつも楽しくブログ読ませて頂いています(^-^)

この文章、私も初めて読んだ時に涙がこぼれました。
浜文子さんの『育母書』ですよ。

>通りすがりさんへ

教えてくださってありがとうございました!
ずっと知りたかったのです。
本当にありがとうございます。
さっそく読んでみます。
プロフィール

ざまき紅子

Author:ざまき紅子
遊びにきてくださってありがとうございます。
旅行、読書、映画、海外ドラマが好きな関東在住の主婦です。
2005年4月生まれの地図と線路が好きな息子(紺太郎・仮名)がいます。
夫とは週末婚です。
小5の2017年1月に夫が急に「受験」を言い出し、本人もその気になり2月中旬から塾(N)に通い始めました。
突如決めた中学受験、1年間しか時間がないし、わからないことだらけで右往左往しています。2018年春に桜が咲くといいです。


(2008年12月の記事は他の所で書いていたものを移したので、日付はランダムになっています。)


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