幼児期より、よかった本

<2018年2月28日>


突然ですが、
幼児期から今まで買ったで良かったものの振り返りです。



●子ども用


「せんろつづく」





鉄道好きの息子には何よりの本でした。
2才のころ、興奮して読んでいました。
ページをめくる前に、次のページのせりふを言ったりしていました。



「めっきらもっきらどおん」「やまなしもぎ」「こんとあき」(←「こんとあき」は図書館で何度も借りた本です。)









「算数IQ大辞典」(家で持っているのは古い方なのですが、最新版も出しています)
算数の小話などが乗っていて、何時間もはまって読んでいました。






「こども論語塾」





幼稚園の頃から寝る前に、私が言ってそれを息子が繰り返す、というのをやっていました。


「辞書びきえほん 世界地図」






リビングに置いて、テレビで●●人が出てくると「何語を話しているのかな~?」と疑問がわいたときなど、すぐに調べていました。



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●親用です。


もっと感動した本があるかもしれないのですが、思い出したものだけです。
前にも書いたことがあるのですが。
↓前半は幼児を持つお母さん用です。








何だか自分の子育てが不安で色々な本を読みました^^;
しょっちゅうイライラしていたし。
でも、今思うとイライラしないお母さんはマレだと思います^^;
ただ対処法を知っていると知っていないでは、大きな違いがあると思います。
(親業、コーチング、ハッピーアドバイスなど。知っていてもできないことが多いですが^^;)
いい本に何度か救われました。



私は主にamazonで本を買うのですが、
そのページを開くと、
「お客様は2007/09/10にこの商品を購入しています」などと一番上に出てくるので、
「いつ買ったか」が記録に残るのでいいわ~、、
と、このブログを書きながら思いました。




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ほめ力 柳沢幸雄

<2018年1月 12才8か月>



先日、開成中学校の校長の柳沢幸雄さんのお話会があったときに(こちら)、



子どもにとって大切なものは、
「素質の芽生え」、
そして、芽生えを支える土壌が大事、
キーワードは「楽しさ」!


と聞いたときに、ゾクゾクっとして感動してしまいました。



その後に「ほめ力」を買いました。







柳沢さんは、今は開成の校長ですが、
ハーバードでも、東大でも教えていたことがあります。



まだ最初の方しか読んでいないのですが、
いい箇所があったので、メモ書きです。



ほめる子育てと、その逆の叱る子育てでどのような違いがあるか。
たとえばみなさんが子どもに薪割りを教えることになったと仮定して考えてみましょう。

A君のお母さんは、まず自分でお手本を見せました。
また危険がないように、斧の安全な使い方を、しっかり説明しました。
そして子どもの手を持ちながらいっしょに薪を割ります。
何本か割ったら、「ひとりでやってみようか?」と聞きました。子どもは「うん」と答えました。

はじめは、きれいに真ん中で割れません。
でもお母さんはこう言いました。
「うまいわ。その調子よ」。そうするうちに、薪がきれいに真っぷたつに割れました。
お母さんは言います。「まあ上手に割れた!お父さんにも見せたいわ!」
もうその子は薪割りが楽しくてしかたがありません。
残りの薪を全部一人で割ってしまいました。

B君のお母さんは真ん中できれいに割れないときについ我慢できず
「なんできれいにふたつに割れないの!?」「そうじゃなくて真ん中できれいに割るの!」
と、怒ってしまいました。
子どもは、薪割りなんてもしたくないと思ってしまいました。

C君のお母さんは、「薪割りなんて危ないこと、絶対にさせられない。もしケガをしてしまたらどうするの」と言ってまったく薪割りをさせませんでした。


子どもがもっとも早く薪割りを覚えるのは、A君のお母さんのやり方です。
そしてA君は薪割りを覚えると同時に、「自分の役割」ができたことで自信を持ち、「自分は必要とされている」と自己を評価することでしょう。
私がアメリカで見てきた子育ては、こうしたやり方です。


私は「できないこと」に注目することが多くてB君のお母さんのようなので、
これを読んでA君のお母さんみたいになりたい、、、と思いました。





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その子なりの何かがある

<2017年12月 12才7か月>



少し前に,、小学校の教頭先生のお話会で、

「子どもって「何でそんなことするの?」ということがあると思います。
でも子どもの「あるがまま」に見てください。
その子なりの何かがあるんです。
その子に何が必要なのかな?と考えていくことが大切」

と言われて、感動したという話を書きました(こちら)。


そして、「その子なりの何かがある」という言葉で、昔に自分のブログに書いた話を思い出しました。


私が昔PHP(PHP出版は松下幸之助さんが創立)を愛読していた頃、
吉岡たすくさんという方のコラムが好きでした。





吉岡さんは小学校の校長先生をへて、児童文化研究家やテレビの教育相談番組で活動した方です(wikiはこちら)。


2011年の9月に書いた日記ですが、吉岡さんの本を紹介しています(こちら
すごくいい話なので、再掲します。
吉岡さんが子どもの頃に、職員室のガラスを石を投げて割ったお話です。


長いのですが、よろしかったらお付き合いください。

↓こちらの本からです。




それまでの担任の先生は、私が学校の行き帰りに、お地蔵さまに「早く先生が変わりますように」と祈るくらい、私にとってはいい先生ではなかったのです。
私が心の中でつけたあだ名も、キツネ、カバ、キリギリス・・・(笑)。

その上、私は小さい頃から親に育てられずに、いろいろな人にあずけられ、毎年小学校を変わっていたのです。

この先生は、5年生のときの先生です。それまでの先生の印象から、もう私は先生に対して期待していませんでした。興味もありませんでした。
5年生になって第一日目。ガラガラと戸が開くと、
「ここ、5年一組?」
と、大きな明るい声が聞こえました。
瞬間、今までとは違うな、と思いました。
そして、私の先生観は変わったのですが、他の子どもたちのように、先生のそばに行っていっしょに話すことはできないのです。

それから2ヶ月くらい経ちました。
ある日の朝、私は前日からの腹痛で、遅刻しそうになりました。
もう誰もいない道を急ぎ足で歩いていると、後ろから自転車の音が聞こえました。
見ると先生です。
「後ろに乗りなさい。遅れるわよ」
と、私を乗せて走り出しました。途中先生はいろいろ話しかけてきます。
私は答えたくても答えられず、首をタテ、ヨコに振るだけでした。


その日、私は先生に朝のお礼を言いたかったのですが、言えないまま最後の時間になってしまいました。しかたなく、私はノートの後ろのページを切って、「ありがとう」とだけ書き、
名前も書かずに、先生に「さようなら」のあいさつをするときにパッと渡し、逃げるようにして帰ってきました。

翌朝、先生は私のそばにきて、
「手紙、ありがとう」とおっしゃったのです。
それから私は、ときどき腹痛が起こり、先生の自転車に乗せてもらいました(笑)。



また校庭で生徒達で逆立ちして遊んでいる時に、(できなくて)先生がクスクス笑うので、
「先生、偉そうに言うけど、なら逆立ちできるんか」と誰かが言うと、
「逆立ちくらいできるわよ。一周くらいまわれるわ」
「そんなのウソだ。じゃあ、回ってくれ」と言うと、
本当に回ったそうです。
生徒達は最初、笑いながら見ていたのですが、半周を越したあたりから、驚きに変わったそうです。



この時からこの先生に対する信頼度は高まりましたね。勉強のことだけでなく、先生の言うことなら、何でも聞くようになりました。
もっとも、後から聞いてみると、この先生は学生時代、体育を専門にしていたそうなのですが(笑)。



それから、あるとき、こんなこともありました。それはある日の夕方、私はお使いの帰りでした。学校の裏を通ると、先生が職員室で仕事をするのが見えました。
夕日が向こう側に落ちるときで、逆光で先生の姿はシルエットになっていました。
私はそれをきれいだなと思ってみていたのです。


すると、職員室のガラス戸の上のほうから大きなクモが一ぴき下りてくるのが見えたのです。ガラスに映る先生の顔の上まで、クモは下りてきました。
そして私はガラスの割れる音で気がつきました。私は自分でも気がつかずに、石を投げてガラスを割ってしまったのです。


音に驚いた私は逃げ、校舎の角を曲がるところで、男の先生につかまえられました。
私をつかんで、
「今、ガラスを割ったのはお前か」
と、言いました。私は声が出ませんでした。その先生は職員室まで私を引きずっていきました。


「先生めがけて、石を投げるとはどういうことか」
私は今の状況を説明しても、きっとわかってはもらえないと思い、黙っていました。


そのうち教えてもらったこともない先生まできて、
「この子はふだんからおかしい」とか
「生意気な顔をしている」とか、いろいろ言います。
言われれば言われるほど、私はガンとして口を開きませんでした。


さんざん、いろいろなことを言われた頃、ガラガラと職員室の戸が開いて、担任の先生が入ってきました。
「吉岡さんは私の組の子なので、教室につれていってもよろしいでしょうか」
「でも、この子はあなたをめがけて石を投げたんですよ」
「私は、そうは思わないんですけど…」
「でも、私は見たんですよ。だって、あなたのそばのガラスが割れたでしょう」
「はい。でも…」
「だから、甘い顔をしたらダメなんだよ」
「はい。よく言いますから」
と言って、私を連れて廊下に出ました。教室まで行く途中、先生はたったひと言、
「私に向かって、石を投げたんじゃないわよね」
と、おっしゃいました。
その言葉を聞くと、私は涙が出てきて何も言えなくなってしまいました。


教室に着き、涙がおさまってから、私はガラスを割った説明をしました。先生はたったひと言、
「わかったわ」
とおっしゃいました。
その先生は、クモを見たわけではないと思うのですが、私のことを信用してくれたのでした。



私だったら、
「職員室のガラスを石を投げて割るなんて信じられない、、」と怒ってしまうだけかも。
もし息子がそんなことをしたら、、、
「いけないことはいけない!」「どうしてそんなこするの(責める)?」と言って、
「こんなんじゃ、ちゃんとした大人になれない、、、」と不安になってしまうだけかも。。


「その子なりの何かがある」とは思えないかも。。
この先生は素敵だなと思いました。


もしこの時にこの先生が吉岡さんを信用しなかったら、
吉岡さんの人生は変わっていたかも・・・???
先生になりたいなんて思わなかったかも、、??




ついでに、「自分のブログの名前と吉岡たすく」で検索したときに、、
他の本のことも書いてあって、とてもいい文章だと思ったので載せます(こちら2011年9月)






日本では学校でも家庭でも枠を作って、その枠の中に子どもを入れようとします。
そしてその枠の中にきちんとはいっていると、先生もお母さんも機嫌がいいのです。
そしてそういう子どもを「いい子」だと言うのです。
ところが、子どもの中には枠に入らない子や枠からはみでる子がいるのです。
そういう子どもにたいして大人は、
「この子はいうことを聞かない」
「この子はダメだ。悪い子だ」
と決め付けてしまっているのです。

けれどもよく考えてみますと、枠にはいらない子はいけない子どもなのではなく、むしろ自分というものをしっかりと持っている子だといえるのです。
つまり枠にはまらなくても、それは劣っているということではなく、ただ性質が違うということなのです。

「はみだしっ子はいけない子どもだ、だめな子どもだ」という考えはなんとしてもやめなければいけません。

それなのにお母さんが「だめだ、だめだ」と言っていると、子どもは罪悪感を持ってしまいます。


「自由」と「放任」は違います。
枠にはめないいっても、子どもがルールをやぶったときには、けじめを教えないといけません。結果子どもを叱ることになるでしょう。
でも「ほめる」「けなす」の順番の違いだけで、
叱られたときの子どもに大きな違いがでる気がします。


(最後に)お母さんは子どもに「完璧」を求めないでほしいのです。
完璧を求めるあまり、つい言いすぎてしまわれるのではないでしょうか。
それがためにお母さんが神経質になって、イライラしていらっしゃるように思えます。
お母さんはもう少しゆったりとした気持ちを持って、子どもを見ていかれることが大事だと思うのです。



今の私に必要な言葉でした。


長くなりましたが、お付き合いくださった方、ありがとうございました。





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「プロ親」になる!親野智可等

<2017年1月 11才9ヶ月>


図書館で借りて読んだ本の記録です。
「「プロ親」になる! 「親力」パワーアップ編 親野智可等」です。





元教師の親野智可等さんの本は何冊か読んだことがあります(こちらなど)。
講演会にも行ったことがあります(こちら)。
親野さんの作ったカルタも持っています。




勉強に関しては「楽しんで」という考えが基本で、
大河ドラマを見て歴史に興味を、、、というようなことが書かれていました。

今まで読んだ本と似通っているので、飛ばし飛ばしサラっと読んだだけですが、
ある箇所が目にとまりました。


メモ書きです(省略あり)。




このクラスを学校でいちばんいいクラスにしよう。
この子をなんとかして成長させてやろう。
この子のだらしないところを、今年中に直してやろう。


そう思ってやっていたときもありました。
そのために、ものすごくたくさん仕事をしていました。
毎回の授業の準備もかなりやりました。
教材を工夫し、問題を工夫し、プリントを作って、というようにがんばりました。
そのこと自体はいいことなのです。
しかし問題は結果を求めすぎていたことです。私は、自分の努力に見合うだけの結果を望みすぎていたのです。

自分はこれだけやっているのに、なぜ子供たちは応えてくれないのだろう、と。なぜ子供たちはがんばらないのだろう、と。

そして、だんだん子供たちに辛く当たるようになりましょた。
とても辛い時期でした。
長く苦しい日々でした。

自分はこれほどやっているのに、
なぜこの子は応えてくれないのだろう、
もっといい結果が出てもいいはずだ、
この子は怠けているのではないだろうか、
このような気持ちが強くなってきて、だんだん不満や怒りがたまってきます。
強く叱ったり、怒りをぶつけるようになってきます。


辛く苦しい時間の中で、私は考えました。



子供を、私の願うように変えることはできない。
相手を、私の思うように変えることはできない。
変わるか変わらないかは、本人の自由であり、強制などできるはずがない。
そもそも、相手を変えようなどということ自体が、僭越なのでないか?
その子には、その子の在りようがある。
その子には、その子の自由がある。
私は、自分がいいと思う方へその子が向かうように働きかけることはする。
教師として、一人の人間として、自分にできる努力をする。
でも、無理矢理強制することはすべきでない。
結果は、子供、相手が決めること。
結果は、自分の手の中にはない。
自分にできることを精いっぱいやり、結果は天に任せる。
人事を尽くして、天命を待つ。
51パーセントの結果でよしとする。

このように私は考えました。
すると、とても気持ちが楽になりました。
結果を望みすぎていたころ、毎朝学校へ行くのが苦痛でした。結果を望まなくなってから、毎朝楽しく学校へ行けるようになりました。
私は、努力しなくていいと思っているのではありません。
子供のために、親としてするべき努力をしていってください。
ただしその際、「結果は委任」して、楽しみながらやっていくことが大切だということを言いたいのです。




「子供を、私の願うように変えることはできない。
相手を、私の思うように変えることはできない。」
わかっていて理解しているつもりでも、忘れがちな言葉です。
51%でよしとする、、か…。
49%のできていないところに目が行きがちですが忘れないようにしたいです。




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育てたように子は育つ―相田みつをいのちのことば、佐々木正美

<2016年6月22日 11才1ヶ月>



読んだ本の記録です。


「育てたように子は育つ―相田みつをいのちのことば (小学館文庫) 佐々木 正美 (著), 相田 みつを 」です。






こちらの本を読んだのをきっかけに「相田みつを美術館」へ行きました(こちら)。


佐々木正美さんの本は好きで何冊も読んだことがありますが(こちらなど)、
相田さんの言葉とリンクした解説で、こちらの本もよかったです~。


自分自身へのメモ書きです。


「欠点まるがかえで 信ずる」


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これは子どもを育てるために必要な最高の愛、最も自然な愛のある態度である。
子どもが最も安心して成長していける親や教師や大人のありようである。
子どもに最も大きな自信を与えることができる大人の姿である。
私たちは相手が花であれば、どんな花にでも、その色や形や咲く季節などを気にかけることなく、それぞれが十分に美しいと感じることができる。

そのように、子ども一人ひとりをそのままで十分に美しいと感じることができるような感性を、私たちも一人ひとり磨きをかけて、子どもを迎えてやりたいと思う。

私には、この「信ずる」が快く響く。
「認める」ではなく「信ずる」というのが何ともいい。
子どもは認められているより信じられているほうが、ずっと生き生きすると思う。
こちらの価値観を修正して相手を認めるのではなくて、
子どもの存在そのものをそのまま信じていてやるのである。
信じるとは、信じるものにとってもこの上ない安らぎである。


======

●子どもはわかってもらいたいのだ。

中2から強度の不潔恐怖を伴った強迫神経症に苦しんだ少年がいた。
体が汚染されたと感じ、何時間も入浴したりした。
父親は少年を頭から「ろくでなし」と決め付け、
少年は「どうしても自分を分かってもらえない」と苦悩した。
少年は家出し、盗みでつかまった。
(その後立ち直ります、省略)。



****


肥料

あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ
じぶんが自分になるための




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存在する意味や価値のない人間はひとりもいない。
ということは、誰にとっても意味のない時間はないということである。
あらゆる時間のあらゆる営みに意味があり、
それぞれの人間の歴史を刻んでいく。

怠けているように見える時間は、大抵は心のエネルギーの充足のために必要な休息の時間なのだ。
休息のあとに続く活動や思案のために必要な、本当に必要な休息の時間なのだ。
どんなに長く続く休息に見えたって、本当に必要な時間なのだ。
そのことは、本当に十分な休息を与えたあとになってみるとよく分かる。
分からないのは、不十分なうちにせき立てて次の活動に追い込むからである。

本当に必要な休息や回り道の時間なのに、誰かが怠けているなどと言うものだから、やがてその子は自分のことを、本当に怠け者で存在価値が小さな人間だと思い込んでしまう。
初めから自分の価値が小さいなどと思って生まれてくる子どもは決していないのに。

悲しみや苦しみを乗り越えて生き抜く力を子どもに与えることは、
自分の価値が大きいものであることを常日ごろ教えておいてやることである。
自分の価値を信じる力、深い静かな自信を育てておいてやれば、
苦しみや悲しみは喜びや気楽さよりも、真の人格を育てるために大きな潜在力となるだろう。

だがしかし、自分を信じられるような愛情に恵まれないまま、悲しみや苦しみが与えられたら、子どもは自分の人格を破壊してしまう。生きる力さえ失ってしまうこともある。

=====

●若者の真の成長には、「むだ」が必要

親に対してひどい暴力を振るう男子の中学生や高校生の相談があとを絶たない。
両親の不幸もさることながら、自分の親に暴力を振るわなければならない若者の無力感、孤立感に、同情や思いをはせてしまう。
若者の何十年間の過去に、年齢相応の思索をする雰囲気や、時間的・精神的余裕が、どれほど与えられたか疑問だ。
少年や若者が、真の成長のために必要なものは、
現在の親や教師が軽視しがちで「むだ」と思われる行為の中にある。




私のブログを前から読んでくださっている方はご存知ですが、
うちの息子、、宿題もやたら時間かかるし、
私にとっては無駄なボケ~が多いのです。
でもこの部分を読んで、「むだ」って大事なんだな、、
あまりせきたてるのは良くないかも、、と思いました。



お付き合いくださってありがとうございました。


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プロフィール

ざまき紅子

Author:ざまき紅子
遊びにきてくださってありがとうございます。
旅行、映画、海外ドラマが好きな関東在住の主婦です。
2005年4月生まれの地図と線路が好きな息子(紺太郎・仮名)がいます。
1年間の勉強を経て2018年中学受験に参加しました。
夫とは週末婚です。


(2008年12月の記事は他の所で書いていたものを移したので、日付はランダムになっています。)


★もしご近所さんでこのブログに気がつかれた方がいらしたら、内緒にしていただけると嬉しいです。

★お出かけ先の施設の営業時間・料金等はここに書かれているものから変更になっている場合がありますので、自ら御確認をお願い致します。

★お願い★
このブログに掲載されている写真の無断転用はお断り致します。転用する場合は、リンク先のアドレスと共にご一報をお願い致します。

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